兵庫県皮革産業協同組合連合会
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兵庫県の皮革の歴史
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5. 太閤井戸の由来、そして姫路土産に革を献進
いずれにしても、播磨の皮革生産は室町時代においては極めて盛んであった。さらに豊臣時代になると、姫路と皮革を結びつける話がかなり出てきて、当時の生産と技術のレベルの高さを示すようになる。例えば次のようなエピソードが残っている。

当時織田家の家臣羽柴筑前守秀吉が天正年間、主君信長より姫路城の増築を命ぜられた。当時姫路城主であった黒田官兵衛より領地もろとも姫格城を譲り受け、普請奉行の黒田官兵衛と浅野弥兵衛に申し付け、城の改築に着手した。そして、天正8年(1580)9月中句に軍事訓練のかたわら、稔りの秋を視察しつつ高木村の亀山に登り陣を敷いた。この亀山(現在の前山)の頂上の「城田の天」という場所は現在の花田保育所の上にあり、今もその名前で言い伝えられている。

筑前守が高木村に立ち寄った際、老婆が一枚の革を献上したところ大変喜ばれ、そのお礼として要望により井戸を掘ったという。この井戸は太閤井戸として尊ばれ、どんな渇水の時でも湧き出たという言い伝えがある。

筑前守はまた、武具の修理に姫路革を試用した処、その耐久力と美しさは他に比類なく、特産物を姫路城改築祝いと年賀の贈り物として、翌天正9年(1581)年12月12目に信長に播州土産として滑革200枚などを献上したとか、室革文庫1,000個とか鞍蓋馬1,000疋を贈ったとかいわれている。

この当時、皮革は武具調達の面からは特に重要な資材であったことから、かなりの地域に姫路の革工が分散している。例えば、姫路一帯の領主であった黒田長政が関ケ原合戦の戦功によって、筑前国を与えられて移封したとき、その地に高木村を作り、旧所領の「皮づくり」たちを招聘したという。慶長10年(1605)代に福岡県早良郡に孫左衛門らが、加賀藩には同11年播磨屋左衛門五郎が招かれている。

この外鳥取藩へ元和3年に行ったといわれているし、あるいは川西とか伊勢方面にも製革技術者が姫路から移住したという話が残っている。これらはいずれも姫路の優れた製革技術者を各藩が求めたことの証といえよう。

また、江戸時代の史料にもしばしば見られる。享徳3年(1454)の鎌倉年中行事に「播磨皮の白き力革」、桂川地蔵記の「播唐力革」、和漢三才図会には室津靼(鞣)革、寛延2年の播磨細見図付載土産名物には姫路靼煙草入、毛吹草には室滑、同枕、馬皮などの文字が見える。装剣奇賞には「播州姫路にて製す。5色あり、いずれも一葉の葵と散桜の極印あり、大きさ1尺3寸に7寸5分あり。紅革のものは此中にて高値なり」とある。

このように姫路白鞣革は量質ともに各時代を通して代表的な皮革であり、その当時最も典型的な製法であった。

職人尽絵より革師の図(中世)
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